みなさん、こんにちは!
農家ご飯食べ歩きの2食目ということで今回、私は栃木県栃木市新波地区に来ています😊
そこからほど近くの新波地区で、今回ご紹介する農家さんはお米を栽培されています。
そして今回ご紹介するのは、田中潔さんです🎤
いつお会いしても、オシャレな潔さん。 実は元々農家ではなく、東京でカメラマンをしていた。
―なぜ、カメラマンだったのか。 写真というものは、1枚で認められる。その写真で人の心が動いたり、認められたりする凄さに惹かれたと話していた。
―では、どうしてカメラマンを辞め就農したのか。 アナログからデジタルの世界にカメラの業界が変わったことが始まり。 自分を見つめなおすため、自分の軸になっているルーツを探しに実家のある栃木へ帰郷。 実家に戻ってみると、そこには400年続く農家の16代目の父、収≪おさむ≫さんの姿があった。 ずっと父が作っていると思っていたコメは、帰郷したとき田植えと稲刈りを別の人に作業委託していた。 しかも、自分の代で廃業しようとしていた父―。 そんな実家の現状を目の当たりにした潔さんはなにを思ったのだろうか。 その時のことを話してくれた。 「自分の代わりがいるカメラマンという職業と、自分しか継げる人が居ない実家の農家。必要とされている方を考えると、農家だった。農家の仕事も別の人がやる。という選択肢はあるけれど400年続いている田中家の農家は、自分しか継げない―。」 このとき400年続く農家。それを自分がやりたいと思ってやっているカメラマンを続けることで、紡いできた歴史をとめてしまっていいのかと考えたという。 そして農家になり就農から11年目の今、美味しいコメが採れる『新波』という地域から、採れたコメを使ったお酒を販売するなどコメの生産から商品企画、販売までを行っている。 潔さんにとってモノづくりは表現することであり、自分が食べたいと思うものを作っている。
―作ったモノは、どうしてお酒だったのか お酒を作ろうと思ったのは、父が安いお酒をたくさん飲んで酔うことが多かったのがきっかけ。 せっかくなら良いお酒を少しだけ飲んで酔って欲しかった。そんな父への思いから作り始めた。
カメラマンでもプロになるには、限られた人にしかなれない。
プロのカメラマンだった潔さんが、これからどんな風に表現されていくのか、今後のご活躍がすごく楽しみな取材でした。
皆さんも新波セットに応募して、潔さんを応援しましょう✨
次回の農家さん登場をお楽しみにっ!!
栃木県出身。1993年6月生まれ。B型。
中学卒業後は、地元の普通科高校に入学。高校2年の終わりに中退して引きこもり生活をしていた。ある日テレビを見て「今からでも遅くない」と定時制高校へ編入。編入した高校で屋久島を訪れ、そこで出会った人々との交流の中で「人のココロ」について興味を持つ。1年で卒業し地元の心理学を学べる大学へ入学。大学卒業後は自動車販売会社に勤める。不規則な仕事で体を壊し退職。現在は、(株)farmoで現在まで4年間広報担当として働いている。
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